シブヤ大学ココロゼミと連動したブログです。


by kokolo-zemi
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そして、1年10ヶ月後に再発。
それまでも医者にかかり、経口からの抗がん剤は服用していたが、
前回手術をした同じ場所にガンは再発していた。


2回目の手術は相当大掛かりな手術となった。
人口肛門をつけることとなり、放射線治療も始まった。


体力は回復しなくなったため、仕事もいよいよ続けられなり、
亡くなる1年半前に退職する運びとなった。
仕事人間だった旦那様。
このことがとても辛い選択だったのは、想像に難くない。


それからは入退院を繰り返すことになった。
病院という場所が大嫌いだった旦那様は、
ちょっとでもよくなったら、すぐに退院したがった。


病院にいても、できることは少ない。


うちで読書をしたり、パソコンをしたり、散歩をしたり。
スズメに餌付けをし、えさやりを楽しみにしたりしていた。
今まで仕事で忙しくしてきた分、
この頃が一番人間っぽい生活を送れていたかもしれない。
日常のささやかなのことを楽しんでいるようだった。


しかし、この頃から少しずつ動けなくなってきて、
片道1時間半かかる病院に通院することが難しくなってきていた。


そんな時、自宅に看護師が来てくれる訪問看護の団体を紹介してもらった。
その看護師は病院と連携をとってくれたため、とても助かった。
やはり受け皿は病院にあるということは、安心感につながり、
わからないことをやることの不安を解消してくれたのだった。




Part3につづく。。
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# by kokolo-zemi | 2008-04-25 22:29
第3回ココロゼミでは、
第2回でお話頂いた、Oさんのお母様をゲストスピーカーに迎え、
旦那様との出会いから病気発覚、そして死に至るまでを、
淡々と、でも、その時折で感じられたことを詳細に話していただきました。



出会いは31年前。お見合いで出会ってから半年後に結婚。
いいかかげんだけど、ユーモアのあるまじめな人との印象だった。
旦那様は鉄鋼メーカーに勤める、典型的なサラリーマン。
ゴルフや麻雀、お酒を飲んだりなどは、仕事でもあり、楽しみでもあった。


その後、外資系の会社に転職。
日本の企業と違って、能力主義で、求められることも多く、
すごくストレスを感じていたよう。
勉強にはなったかもしれないが、プレッシャーも相当なものだったに違いない。
しかし、自分の意志で決意をしたことに関しては、後悔しない人だった。


そんな折、1998年に最初のガンが発覚。
健康診断で、ひっかかったことがないのが自慢なほどの健康な人だった。
だから、忙しさを前にして、健康診断を受けず、
自覚症状はあったが、それも放置していた。


直腸ガンだった。


腸からは既に出血があり、緊急手術が執り行われた。
大手術だったが、悪い部分を切除。
機能的には多少不便は感じることはあっても、日常生活が送れるほどに回復。


そして、入院中は仕事を休んでいたが、退院まもなく復帰。
海外出張などもまたこなすようになっていった。
真意はわからないが、常に口にしていた言葉は、


「明鏡止水」


平静で澄みきった気持ちだったという。




Part2につづく。。
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# by kokolo-zemi | 2008-04-24 22:57

もう一週間・・

はやいですね。

第3回目ココロゼミ開催されてからもうすぐ1週間が経ちます。

詳細レポートは後日、ゼミ生あいおがアップしてくれるので乞うご期待☆

簡略に書きますと

第2回目のゲストスピーカーOさんのお母様にお話していただきました。

白いスカートがとてもお似合いでしたよー。
柔らかい雰囲気と冷静な視点と緩急の絶妙なバランスをもってる方です。

旦那さまとの出会いから
今の世界でのお別れにいたるまでを語っていただきました。

貴重な時間を共有させていただいて
感謝の気持ちでいっぱいです。
Oさんママ、今度はゼミ生として参加してくださいねー。

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明日はアースデイ
代々木公園にくりだしたり
身近な環境を考えたりする人も多いのでしょうか。


それにしてもの雨・・・。

雨が降るとお家の中が大好きになる ぜみちょ秋山。
でも明日は学校の授業とシブヤ大学の授業とがあるので
外へ出かけようと思います。


ぜみちょ
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# by kokolo-zemi | 2008-04-18 21:40

あと1週間・・

次のゼミまであと1週間。

11時から開催予定です。

ゲストスピーカーは前回のゲストOさんのお母さん!!

Oさんとはまた違った角度からのお話が聴けるはず。

今日は、

Oさんのブログのご紹介。
→http://ameblo.jp/rockandroll-cake/entry-10084411218.html

そして 

Oさんがお父さんについて書いたページ
→http://ameblo.jp/rockandroll-cake/entry-10067557536.html

Fさんの日記と合わせて読んでみてください。


今日はいい天気。
散る桜と新緑のコラボレーションを見に
公園まででかけましょうかね。


ぜみちょ
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# by kokolo-zemi | 2008-04-06 12:19

Fさんの日記


ゼミのみなさま 

レポート提出おつかれさまでした!

思考や感情を言葉にするってとても難しいですよね。
あのとき感じた思いは、もっと違う言葉で表現したいのにできない・・。 とか
まさにこの言葉でしか表現できない!!とか。

前回のゼミでお話してくれたFさんは文章を書くのがとても上手。
Fさんのmixi上の日記をご本人の了承を得て、転載させていただきました。

以下、Fさんの日記です。

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  生きる    2006年12月25日19:48

昨日1周忌を迎えた。
昨日のことのように思い出すけれど、ずいぶん昔の出来事のような気もする。
父は昨年のクリスマスイブに永遠の眠りについた。
今でもはっきり覚えている、星屑をちりばめたように本当にキレイな夜だった。
そして今、書こうと思う。
ただ自分が救われる気がするからかもしれないけれど、
今だからこそ書こうと思う。

今日で1年がたつ。だけど思い出すたびに後悔と罪悪感と、私が生かされている意味は何かを考えていた。

亡くなってまもない頃、混んだ電車の中や、年配の男性の群に父の姿を無意識のうちに探してしまっていること、
今でも何かの偶然で生き返ったりしないだろうかと毎日のように
考えていた。

老夫婦を見るとどんなおじいちゃんになっただろうと、
おばあちゃんになった母ときっと寄り添っていただろうと思い浮かべてしまう。

初めて見せた涙、かすれた声、痩せ細った腕、最期の言葉。
何を思い出しても胸が苦しくやるせない。
街はクリスマスに向け賑やかで、すれ違う人達は幸せそうで、
それが一層私たちの現実を虚しく悲しくさせた

でも父は、私たちよりずっと、『生きている』気がした。
必死に毎日を、一分一秒を、生きていた。

家族にだけ余命が宣告されていた。
でも、きっとわかっていたんだと思う。
痛みに耐えられなくなり、
初めて家族みんなで泣いた時、

『最期はこの家に帰ってきていいかなぁ・・・』
と言った父に
母は
『当たり前じゃない』
そう答えた。

私はこの1年で、父の強さと、母の強さと、
2人の絆に初めて気付いた気がする。
こんなことになって気付くなんてバカだと思う。
だけど、それでも父のおかげで気付けた。
私たち家族は、この1年で気付いたことが本当にたくさんある。


会話が出来るのはこれが最後と分かった時、私は何を言えばいいのかわからなかった。伝えたい言葉はたくさんあるはずなのに、小さい声で『ありがとう』と言ったきり何も言えなかった。
ただ私は父の笑った顔が見たかった。1年間何も出来なかったけど唯一私に出来たことは楽しく賑やかに笑ってみんなと過ごすことだけだったから。だから母も姉もいろんな言葉をかけていたけど、私は一人、3日前の病院でのクリスマス会の写真を見せて
『お父さん、覚えてる~?楽しかったねー!見て見て師長のピエロ、おかしかったね~』
そう言ったら父は何も言わずに弱々しくもニッコリ笑ってくれた。
それでもう満足だった。本当に嬉しかった。笑った後、父も家族みんなもボロボロ涙をこぼしていた。
目の前にある残酷な現実と、何も出来ないやるせなさが溢れ出して止まらなかった。

そして父は深々と頭を下げて、今にも消え入りそうな声で言った。


『ありがとうございました』

それが最期の言葉だった。
何より悲しいのは父自身が最期と感じたからこそ、出た言葉であることだった。
それから3日後に父は息をひきとった。
眠り続ける父の隣で『お父さん!メリークリスマス!』と3人で乾杯した1時間後のことだった。
席を外していた母が戻ってくるのを待っていたかのように、2度程呼吸した後、永遠の眠りについた。
本当に静かで穏やかで、いつまでも眠っているみたいだった。
でも私はよくわからなくて、悲しいとか辛いとかそんなんじゃなくて。
ただ、
『一緒に家に帰ろう』
それだけだった。

想い出は楽しいことも辛いことも時間と共に忘れていく。それは人が生きていくために必要なことだと思う。だから強くなれるんだとも思う。だけど今は、忘れることが怖い。楽しかったことも辛かったことも全部覚えていたい。いつか忘れてしまう日が来ることが怖い。

父は人生の中で病気になってからの一年間が1番幸せだと言っていた。
それは当たり前に思えることをかみしめて大切にしていたからだと思う。
眠れること。朝目が覚めること。おいしいと感じられること。愛する人が側にいること。
晴れた日の散歩、 みんなで食べる食事、家族揃った記念写真、親友からの励ましの電話―
どれも、取るに足らないようなことが大切な想い出になってたんだよね。

告別式には想像以上に沢山の方々が足を運んでくれた。
式の後にも家にお線香あげに来てくれた方、
お花を贈ってくれた方、
手紙を送ってくれた方、
一緒に泣いてくれた友達、
遠い地で気遣ってくれる親友、
そしてたくさんのお世話になった方々に、温かい言葉をいただいた。

本当にありがとうございます。
どれだけ救われたことでしょうか。
これから私は、その心を少しずつでも返していけたらと
思っています。

一昨日、私はとある喫茶店にコーヒーを買いに行った。
その店は父が7、8年前に訪れていた。
その店のコーヒーがおいしくて思い出に残っていると聞いた姉が、1年前にわずかな手がかりからその店探し出し、病床の父に届けたのだ。
父はとても喜んでいた。

一周忌を迎える昨日、仏壇に供えたくて私は初めてその店を訪ねた。
その店のマスターは事のいきさつを話しながら涙してしまった
私に
『ありがとうございます。そんな風に言っていただいて嬉しいです。
亡くなったことは残念ですけど・・・しょうがないことですけど・・・
頑張って下さい。』
そう言って暖かく見送ってくれた。

昨日父の仲間たちも遠方からはるばる
来てくれた。
告別式の日、その仲間たちから父の話を聞いて、
母はこう言った

『お父さんは私たちが思っている以上にすごい人なんだね』

忘れないように、
父の口癖を、父のしぐさを、好きなものを、
そして父自身を。
時々思い出してはみんなで話そうと母は言った。

私たちだけは忘れないように。


今、自分がここに居ること。
今、大切な人がここに居ること。

何かを感じ、想い、考え、話し
怒り、笑い、泣き、喜ぶこと。

愛すること、愛されること。

ただ生きていること。

これ以上の幸せはない

2006.12.24
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# by kokolo-zemi | 2008-03-25 17:04