シブヤ大学ココロゼミと連動したブログです。


by kokolo-zemi
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最初にガンだとわかった時が、一番ショックだったし、
一番不安で心配な気持ちだった。
いろんな想像をめぐらせ、あれこれ考えることが多かった。
しかし、闘病期間が長かったせいか、段々とそういうことはしなくなったし、
覚悟ができていった。
 

だけど、“今”が終わるということは、怖かったことは怖かった。
また、“亡くなる”と周りの皆が思っていることを感じたり、
考えたりすることが嫌だった。
よくなることはないとはわかっていたけれど、
一方では、ずっと生きていくと思っていたし、いつまでも希望は捨てなかった。

白黒はっきりしない、グレーなこと。

世の中にたくさんあるであろう矛盾。
それはあえて絶望しないようにする方法だったのかもしれない。
同時に、亡くなるなんて、私は信じないぞということが、
原動力となっていたかもしれない。


夫婦お互いが、心配をかけさせまいと、話を突っ込んですることをしなかった。
旦那様が一番心配していたことは、経済的なことだったと思う。
また、苦痛や痛み、不安など、奥さんに心配をかけさせないようにと、
ほとんど口にすることはなかった。


何が一番大変だったかと言うと、一人でどうしたらいいのか考えることだった。
病院に行くタイミングをはかったりするのがとても難しかった。
本人の意思を尊重してあげたいけれど、
あまりに高熱が出たりしたら、どうしていいかわからない。


しかしこの点は、看護師が訪問してくれることによって、幾分楽になった。
ブロに頼ることが安心につながった。
あとは、どんなに忙しくても大丈夫だった。


病院との関わりは、亡くなったらその時点で終わり。
いろいろ思った場所だから、しいて行きたいと思う場所ではなかったけれど。
不思議なくらい、プッツリそこで終わり。
それが医師の仕事であり、看護師の仕事なのかもしれない。


亡くなってからも、何かが変わるわけではなく、
普通にご飯を食べ、普通の生活を送っていた。


ふと、これはどういうことだろう?
夫の死を自分は受け入れてしまったのか?


だからと言って泣いて暮らすというわけではない。
夫は、最後まで一生懸命生きてくれた、頑張ってくれたから、
それに答えるために、元気に楽しく生きていかなきゃと思った。


しかし今ふと、
運命だったのかなと、しょうがなかったと思う一方で、
食事にもっと気をつければよかったかな?と思ったりする時がある。


だけど、ちょっと後悔することはあっても、
その時によかれと思うことをやって進んでいく。
結局、ひとつしか選択はできないのだから。
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by kokolo-zemi | 2008-04-29 22:32
それから亡くなるまでの1年半。
食事は普通にとれたものの、
座ったり、仰向けに寝たりすると、すごく痛みをともなったため、
立ったまま食事をしたり、横向きに寝たりしていた。


痛みを和らげるために、経口でモルヒネを服用してもいた。


そして、だんだん貧血がひどくなり、輸血が必要となってきた。
ここで、訪問してくれていた医師は自宅での輸血は難しいと判断。
しかし、看護師たちが協力してくれたため、
家でやってくれるよう、無理にお願いすることとなった。


なぜなら、もしこのまま入院することになったら、
もう家には帰ってこれなくなることはわかっていたから。


周りからの声で、

病院に行かせないことはほっとくこと?

などと、考えたりすることはあったけれど。
この時点で、家で最後を迎える決意をすることとなる。


そして、その半年後、息をひきとった。
もっと早くに亡くなってもおかしくないような状態だったと、
医師からは告げられた。

本当に十分生きた。

お疲れ様でしたという気持ちでいっぱいだった。



Part4につづく。。
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by kokolo-zemi | 2008-04-26 22:26
そして、1年10ヶ月後に再発。
それまでも医者にかかり、経口からの抗がん剤は服用していたが、
前回手術をした同じ場所にガンは再発していた。


2回目の手術は相当大掛かりな手術となった。
人口肛門をつけることとなり、放射線治療も始まった。


体力は回復しなくなったため、仕事もいよいよ続けられなり、
亡くなる1年半前に退職する運びとなった。
仕事人間だった旦那様。
このことがとても辛い選択だったのは、想像に難くない。


それからは入退院を繰り返すことになった。
病院という場所が大嫌いだった旦那様は、
ちょっとでもよくなったら、すぐに退院したがった。


病院にいても、できることは少ない。


うちで読書をしたり、パソコンをしたり、散歩をしたり。
スズメに餌付けをし、えさやりを楽しみにしたりしていた。
今まで仕事で忙しくしてきた分、
この頃が一番人間っぽい生活を送れていたかもしれない。
日常のささやかなのことを楽しんでいるようだった。


しかし、この頃から少しずつ動けなくなってきて、
片道1時間半かかる病院に通院することが難しくなってきていた。


そんな時、自宅に看護師が来てくれる訪問看護の団体を紹介してもらった。
その看護師は病院と連携をとってくれたため、とても助かった。
やはり受け皿は病院にあるということは、安心感につながり、
わからないことをやることの不安を解消してくれたのだった。




Part3につづく。。
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by kokolo-zemi | 2008-04-25 22:29
第3回ココロゼミでは、
第2回でお話頂いた、Oさんのお母様をゲストスピーカーに迎え、
旦那様との出会いから病気発覚、そして死に至るまでを、
淡々と、でも、その時折で感じられたことを詳細に話していただきました。



出会いは31年前。お見合いで出会ってから半年後に結婚。
いいかかげんだけど、ユーモアのあるまじめな人との印象だった。
旦那様は鉄鋼メーカーに勤める、典型的なサラリーマン。
ゴルフや麻雀、お酒を飲んだりなどは、仕事でもあり、楽しみでもあった。


その後、外資系の会社に転職。
日本の企業と違って、能力主義で、求められることも多く、
すごくストレスを感じていたよう。
勉強にはなったかもしれないが、プレッシャーも相当なものだったに違いない。
しかし、自分の意志で決意をしたことに関しては、後悔しない人だった。


そんな折、1998年に最初のガンが発覚。
健康診断で、ひっかかったことがないのが自慢なほどの健康な人だった。
だから、忙しさを前にして、健康診断を受けず、
自覚症状はあったが、それも放置していた。


直腸ガンだった。


腸からは既に出血があり、緊急手術が執り行われた。
大手術だったが、悪い部分を切除。
機能的には多少不便は感じることはあっても、日常生活が送れるほどに回復。


そして、入院中は仕事を休んでいたが、退院まもなく復帰。
海外出張などもまたこなすようになっていった。
真意はわからないが、常に口にしていた言葉は、


「明鏡止水」


平静で澄みきった気持ちだったという。




Part2につづく。。
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by kokolo-zemi | 2008-04-24 22:57

もう一週間・・

はやいですね。

第3回目ココロゼミ開催されてからもうすぐ1週間が経ちます。

詳細レポートは後日、ゼミ生あいおがアップしてくれるので乞うご期待☆

簡略に書きますと

第2回目のゲストスピーカーOさんのお母様にお話していただきました。

白いスカートがとてもお似合いでしたよー。
柔らかい雰囲気と冷静な視点と緩急の絶妙なバランスをもってる方です。

旦那さまとの出会いから
今の世界でのお別れにいたるまでを語っていただきました。

貴重な時間を共有させていただいて
感謝の気持ちでいっぱいです。
Oさんママ、今度はゼミ生として参加してくださいねー。

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明日はアースデイ
代々木公園にくりだしたり
身近な環境を考えたりする人も多いのでしょうか。


それにしてもの雨・・・。

雨が降るとお家の中が大好きになる ぜみちょ秋山。
でも明日は学校の授業とシブヤ大学の授業とがあるので
外へ出かけようと思います。


ぜみちょ
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by kokolo-zemi | 2008-04-18 21:40

あと1週間・・

次のゼミまであと1週間。

11時から開催予定です。

ゲストスピーカーは前回のゲストOさんのお母さん!!

Oさんとはまた違った角度からのお話が聴けるはず。

今日は、

Oさんのブログのご紹介。
→http://ameblo.jp/rockandroll-cake/entry-10084411218.html

そして 

Oさんがお父さんについて書いたページ
→http://ameblo.jp/rockandroll-cake/entry-10067557536.html

Fさんの日記と合わせて読んでみてください。


今日はいい天気。
散る桜と新緑のコラボレーションを見に
公園まででかけましょうかね。


ぜみちょ
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by kokolo-zemi | 2008-04-06 12:19